みなさま、良い過去に遭遇されてますでしょうか。


私は物置きから60年代~70年代の音楽CDを引っ張り出し、秘密のお香を焚きながら鑑定前に大音量で流しております。


わたくしは生まれていない時代ですが、この時代の音楽はわたくしの耳には高尚な作品が多い印象で、偉そうなウンチクは何一つ言えません。「聴く」だけではなく、ありとあらゆる文献や書物を「読む」行動をしない限り、完璧に理解できないなと思っております。






というのも、最近久しぶりに電話の鑑定が多いので、室内浄化の一環としてやってます。


それは半分嘘でして、向かいの家を通り過ぎた時にかなりイケてるロカビリーが流れてきて、幸せそうなご家族だと思い、真似をしたというのが半分です。



しかしながら、電話はたまにやるといいものです。

喋り出すとお客様も私も止まりません。

楽しいです。


はるか昔、わたくしにも「イロモノ系占い師」時代がありまして、結果としてやりたいことは何一つできませんでした。


そもそも無駄な野心というものがありませんので、早々に馬鹿馬鹿しくなり、存在全てを消すように逃げました。


経営者の顔色を伺い、さして興味のない芸能人の鑑定をし、まるで生き残りのための椅子取りゲームに参加しているようで何一つ楽しくなかったからです。


普通に真面目に鑑定をさせて欲しかったし、お客様との対話を大切にしたかった。

こういうシンプルな願いが叶わない場所は去るべきなのであります。

当たり前なのですが、楽しいと感じられることはとても大事だと思うのです。

恋人や夫婦として共に過ごすためにも必要な行動であると考えております。

自分を分かってくれる人が、分かりたい相手なのではないかなと。


しかし、どうして人は分かってくれないと最初から気づいている相手に惹かれてしまうのでしょうか。


おそらく、それは相手そのものに惹かれているのではなく、相手の総合的なタレント性に惹かれているだけなのだと思います。相手そのものに惹かれていれば、分かってくれる相手になるのでしょう。


タレント性だけに惹かれていいのは、憧れのロックスターだけで良いのではと最近思うのでございます。


その憧れのロックスターの素の姿を見た時に感じる強烈な羞恥心、それが実際の恋愛の場面でも出ると思います。


本当は女の腐ったような風貌の長髪の男、ギターが弾ければさらに加点。がとても好きだけど、現実的にそういう人と共同生活を生涯していくことは難しい。感情だけで一緒になれば相手のタレント性を潰しかねない行動でもあり、自分自身もどんどん病んでいく。


だからこそ地味でも堅実な相手を求めた。
でも、そういう人は自分に一番優しい相手だからだったりもする。


きっと何かしら感じている強烈な羞恥心は、「あなたにとってはこの人ではない。あなたにもこの人にも違う相手が最適である」というお知らせではなかろうか、そう感じる次第でございます。